インとアウトの間

街宣用にタンバリン通信の原稿を描いている。
無題

漫画や文章を「かく」作業そのものは苦痛ではない。ラクなことではないけれど、その大変さも含めて好きだ。子供の頃から、絵や文を通じて自分の内面を外へ出すのは私にとって普通のことだった。

ただ、議員になった今、ものをかく行為には別種の「しんどさ」がつきまとうようになった。私にとってそれらは100%インナーな行動(創作物を人目に晒すか晒さないかはまた別のこととして)なのだが、議員活動は完全に外向きの仕事である。「かく」行為によってインサイドモードに入った自分を、議員というアウトサイドモードに戻すことには結構な気力体力が要る。
ある程度の時間を置けばスムーズに切り替えができるが、そうでない場合はちょっとしんどい思いをせざるを得ない。

そんな性格でよくダンスなどやっていたと言われそうだが、踊りというのは内面を掘り下げながら同時に外部へ向けて析出していく仕事だ。少なくとも、私にとってはそうだった。だから昔はこんな問題で頭を悩ますことはなかった。

こんな(珍妙な)苦労を感じている同業者は他にもいるのだろうか。
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希望を持って働けますか?

先日、タクシーに乗った時のこと。運転手さんと少しお話ししました。

運「1日半、36時間勤務が基本です。朝8時から翌日5時まで」
私「休憩は何時間取れるんですか?」
運「3時間です。それが労基法の(許容)範囲内ですから」

いやいやいやいや。
「法定範囲内」で働かせる会社もアウトだけど、まず法的に「3時間休みでOK」となっているところがダメでしょう。
実は他業種の友人たちからも、これまで同様の話は漏れ聞いていました。労働関係の法律も改悪が進む一方ですから、このまま行くと国民はほんとに「一部の正規エリート」と「大多数の奴隷労働者」に分断されてしまいます。

私「それじゃ大変ですよね。運転なんてひときわ注意力が必要なのに」
運「ツラいですねえ」
私「朝5時にお仕事が終わったら、後は爆睡ですか?」
運「そうですね。でも時々、運転の研修が入るんで、そうは行かない日もあります」

いやいやいやいや!
これも前から聞いてはいましたが、タクシー業界は今本当に厳しいのだそうです。基本給を下げられているから、どんなにきつくても1日半しっかり働かないと、生活費を稼ぐことができない。
大変なのはどの業界も同じさ、と言って片付けるわけにはいきません。どの業界もおかしいという、それは社会問題であり政治の責任です。まず法整備の根本から叩き直す必要があります。
どう考えたって、労働者を酷使する社会が持続可能なはずないんですから。

料金をお支払いするとき、「道を間違えて遠回りしたから」と運転手さんは端数をオマケしてくれました。
私はたかが一自治体議員に過ぎませんが、一生懸命働いている人が報われる社会を作るために、もっともっと横の繋がりを広めて頑張らなくちゃと思ったのです。

※文中「36時間」とあるのはご本人の言葉をそのまま記したもので、実際の服務時間は8~29時(翌5時)ですから「21時間」が正確な表現だと思われます。

「自己責任」と「社会保障」のあいだ

昨日、看護師をしている友人と久しぶりに会った。そこでたまたま、生活保護や奨学金制度といった“社会的手当て”についての議論となった。
彼女は幼少時から難病指定の病気を患い、家庭的・経済的にもさまざまな困難を抱えながら努力を重ね、家族を支えて働いているタフな生活者だ。そんな“頑張り屋さん”の彼女の目には、私がひけらかした社会保障や貧困対策、格差の是正といった政治的課題はただの甘やかしと映るらしい。

「生保を受けている患者のほとんどが、だらしなくていい加減な生活態度。ああいう人を税金で支える必要があるのか」
「借金して進学したら、返すのが当然。返せないなら借りてはいけない」

かなり強烈な「自己責任」論者なのだが、普段の彼女は優しく明るい気配りの人。しかし、自分がすごい努力をしてきただけに(奨学金をとって看護学校を出、期間内に完済した)、社会の補助を受ける人に対してかなり厳しい。私は、彼女の考えを頭から否定しないよう注意しながら言葉を捜した。

私「家庭環境によってスタートから大きなハンデを負わされるのは、本人のせいではないでしょ」
友人「みんな同じ環境であるはずないし、それは仕方ないこと。各自が身の丈に合った生き方をするしかない」
私「それは個人ではなく、社会の不公平という欠陥では?」
友人「誰でも、それぞれの条件の中で頑張るのが当たり前。自分ができない分を社会に肩代わりさせるのは甘えだ」

私の「貧困や格差は社会問題」という主張を、彼女はどうしても受け容れられないようだ。自分のこれまでの努力を、否定されたように感じるのかもしれない。

「あなたの生き方はすごいと思うし、社会的サポートを受けている人の中には、自分で積極的に生き方を変えようとしないタイプもいるのは私も知ってる。でも、皆が皆あなたのように強くはなれない。“ハードなハンデをはねのけられない人”を生み出さない、もっと許容力のある社会的基盤を作ることが大切だと思う。私はそのための仕事をしたい」

彼女は(友だち甲斐もあっただろうが)私のその言い分には納得してくれた。他にもかなり突っ込んだ話をし、彼女の鋭い舌鋒にこちらが何度もたじろいだけれど、そこは割愛する。


「自己責任論」の信奉者というと、私などはどうしても「なんと無慈悲な」と思いがちだ。しかし私の友人は、繰り返すが人一倍思いやり深く親孝行な人だ。ただの就職先としてでなく、「困っている人の手助けをしたい」と看護師の仕事を選んだ。そういう人でも上記のような考え方をする、という現実に私はしばし立ち止まらざるを得なかった。

貧困や格差は社会問題である、その確信にはいささかの揺らぎもない。ただ、そういう社会の矛盾に体当たりで直面させられるのは、医療・看護や介護の従事者、教職者、社会福祉士など現場の人間だ。役所の職員もそうだ。彼らは日々、自分の背丈を超える難問と向き合って職務をこなさなければならない。友人を「無理解」「無慈悲」と切り捨てることは、私にはどうしても出来なかった。

私はまだこの大問題の入り口でうろちょろしているだけで、ずっと闘っている先達たちはより深い苦悩と模索を続けているのだろう。道は果てしなく遠く、長い。知らなければならないこと、学ぶべきことが山のようにある。

たとえば難病を抱えて働く彼女も、治療費などの面で今も自治体のサポートを受けている。そういうことって、やっぱり必要でしょ? 。。。と、昨日の私は指摘しそびれてしまった。

ただの市民が作った戦争体験文集

これは今から30年ほど前、多摩市民の有志が作った自費出版本です。私の母も編集委員に加わり、インタビューしたり原稿をまとめたりと当時ずいぶん頑張っていたのを覚えています。

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多摩ニュータウンの住人は、さまざまな地域から移り住んできたわけで、それだけに一人ひとり多彩な背景をお持ちです。そういう人たちの声を風化する前に集めておこうと、ただの主婦であるところの母があれだけ一生懸命やっていたのは、やっぱり戦争の恐ろしさ愚かさを肌身で知っていたからでしょう。

私たちには、この記憶を後世へ引き継ぐ義務があります。

ある日のプラマイ

今朝、自転車に乗っていて虫のようなものを轢きそうになり、あわててハンドルを切ったらバランスを失ってすっ転んだ。
痛くなくはなかったが、通りがかった女性がすごく心配して労わって下さったので、恥ずかしさと嬉しさが入り混じった気分で帰宅。

このところ選挙選挙で身の周りのことをサボっていたので、今日はまず階段を掃除した。同じ棟にお住まいの方がそれを見つけて、冷たい麦茶を下さった。
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ひとつバツがついても、ひとつかそれ以上のいいことがある。私はけっこう本気でそう信じています。
プロフィール

伊地智恭子

Author:伊地智恭子
《ご連絡・お問い合わせ先》
多摩市落合3-2-9-505

《カンパ入金先》
ゆうちょ銀行からお振込の場合
記号:10030 番号:20455091
名義:伊地智恭子とまちづくりの会(イヂチキョウコトマチヅクリノカイ)
ゆうちょ銀行以外からお振込の場合
店名:〇〇八(ゼロゼロハチ)店番:(008)
預金種目:普通
口座番号:2045509

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