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「自己責任」と「社会保障」のあいだ

昨日、看護師をしている友人と久しぶりに会った。そこでたまたま、生活保護や奨学金制度といった“社会的手当て”についての議論となった。
彼女は幼少時から難病指定の病気を患い、家庭的・経済的にもさまざまな困難を抱えながら努力を重ね、家族を支えて働いているタフな生活者だ。そんな“頑張り屋さん”の彼女の目には、私がひけらかした社会保障や貧困対策、格差の是正といった政治的課題はただの甘やかしと映るらしい。

「生保を受けている患者のほとんどが、だらしなくていい加減な生活態度。ああいう人を税金で支える必要があるのか」
「借金して進学したら、返すのが当然。返せないなら借りてはいけない」

かなり強烈な「自己責任」論者なのだが、普段の彼女は優しく明るい気配りの人。しかし、自分がすごい努力をしてきただけに(奨学金をとって看護学校を出、期間内に完済した)、社会の補助を受ける人に対してかなり厳しい。私は、彼女の考えを頭から否定しないよう注意しながら言葉を捜した。

私「家庭環境によってスタートから大きなハンデを負わされるのは、本人のせいではないでしょ」
友人「みんな同じ環境であるはずないし、それは仕方ないこと。各自が身の丈に合った生き方をするしかない」
私「それは個人ではなく、社会の不公平という欠陥では?」
友人「誰でも、それぞれの条件の中で頑張るのが当たり前。自分ができない分を社会に肩代わりさせるのは甘えだ」

私の「貧困や格差は社会問題」という主張を、彼女はどうしても受け容れられないようだ。自分のこれまでの努力を、否定されたように感じるのかもしれない。

「あなたの生き方はすごいと思うし、社会的サポートを受けている人の中には、自分で積極的に生き方を変えようとしないタイプもいるのは私も知ってる。でも、皆が皆あなたのように強くはなれない。“ハードなハンデをはねのけられない人”を生み出さない、もっと許容力のある社会的基盤を作ることが大切だと思う。私はそのための仕事をしたい」

彼女は(友だち甲斐もあっただろうが)私のその言い分には納得してくれた。他にもかなり突っ込んだ話をし、彼女の鋭い舌鋒にこちらが何度もたじろいだけれど、そこは割愛する。


「自己責任論」の信奉者というと、私などはどうしても「なんと無慈悲な」と思いがちだ。しかし私の友人は、繰り返すが人一倍思いやり深く親孝行な人だ。ただの就職先としてでなく、「困っている人の手助けをしたい」と看護師の仕事を選んだ。そういう人でも上記のような考え方をする、という現実に私はしばし立ち止まらざるを得なかった。

貧困や格差は社会問題である、その確信にはいささかの揺らぎもない。ただ、そういう社会の矛盾に体当たりで直面させられるのは、医療・看護や介護の従事者、教職者、社会福祉士など現場の人間だ。役所の職員もそうだ。彼らは日々、自分の背丈を超える難問と向き合って職務をこなさなければならない。友人を「無理解」「無慈悲」と切り捨てることは、私にはどうしても出来なかった。

私はまだこの大問題の入り口でうろちょろしているだけで、ずっと闘っている先達たちはより深い苦悩と模索を続けているのだろう。道は果てしなく遠く、長い。知らなければならないこと、学ぶべきことが山のようにある。

たとえば難病を抱えて働く彼女も、治療費などの面で今も自治体のサポートを受けている。そういうことって、やっぱり必要でしょ? 。。。と、昨日の私は指摘しそびれてしまった。
プロフィール

いぢち恭子

Author:いぢち恭子
2019年 市議2期目スタート
2015年 多摩市議会議員初当選

2013年 東京都知事選
宇都宮けんじ候補の選対にボランティアとして参加。

1981年 和光大学人文学部芸術学科入学。

1983年 同大中退。
舞踏家としてスタート。

1978年 都立永山高校入学 1976年 落合団地に引っ越す。

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